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水上ビルに関するお話

TEMTASOBI GINGERの中川です。

さて、本日は会場となる水上ビルに関するお話しです。
ちょっと長いかも知れないのでお時間のある時に。

ポイントは3つほど。
・水の上に建っているから水上ビルと言います。
・闇市から問屋街、そして現在に至ります。
・いつかは取り壊される建物です。

水上ビルは(スイジョウビル)と読みます。
東西約800メートルに渡って連なる板状建築群の通称となります。
この水上ビル。下に川(牟呂用水と言われる農業用水)が流れてます。
川(水)の上に建っている事から水上ビルと言われています。
駅に近い方から、豊橋ビル、大豊(ダイホウ)ビル、大手ビルの3つに大きく分ける事が出来ます。
朝市のメイン会場は大豊ビルとなります。

始まりは戦後の闇市。闇市は再開発により、今のまちなか図書館がある場所に移転。その後さらなる再開発により移転する際、用地不足の打開策として牟呂用水の上にビルを建てると言う、なかなかぶっ飛んだ方法で水上ビルは生まれました。

それぞれのビルで特色がありますが、大豊ビルは問屋街だった事もあり、今でも花火屋さんや菓子問屋などが営業しています。
一時期シャッター街だった水上ビルですが、トリエンナーレや雨の日商店街
@amenohishoutengai などの活動や、レトロな雰囲気と比較的安価な家賃等の要因もあり、徐々に新しいお店が増えて来ました。

そんなストーリーのある水上ビルですが、完成から50年以上が経過。
建て替えは難しい事から、いつかは取り壊される運命にあります。
当製造所の看板になっている”花月堂”の文字は水上ビルが出来た時の最初のお店の一つです(菓子問屋だったそうです)
その後、お寿司屋さんになったり、洋服屋になったりを経て、ジンジャーシロップの製造所と言う、変な経歴を持ってる場所となりました。
そして当製造所がこの水上ビルの最後を見送るお店の一つになるかと思います(なるように努力します)。

戦後からの様々な流れで作られた水上ビル。
そこには色々な形での商売があったように感じます。
水上ビルの終わりを見届ける者として、この場所で朝市と言う、一つの商売の形を行えるようになった事はとても光栄だと感じています。
豊橋には三八の市と言う、大正時代から続いている朝市があります。
三八の市のように、水上ビルが無くなった後も朝市が続き、水上ビルの名前が残れば、嬉しい限りです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
皆様のお越しをお待ちしております。

文/写真:TEMTASOBI GINGER 中川